yigarashiのブログ

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がんばりすぎないふりかえりのススメ

がんばりすぎてふりかえりを嫌いになった

自分たちのやりかたを検査して改善するふりかえり。巷には様々な思想やフレークワークが出回っています。チームからうまく情報を引き出したり、教訓に昇華したり、SMARTなアクションを設定することも大事です。そういう情報がどんどん襲ってきて、しっかり会を設計してバリューの高いふりかえりをやらなければという気になってきます。

それで工夫して上手くいくなら良いですが、自分にとってはあまり良い道標として機能しませんでした。会を頑張って設計しても、そもそも参加者が喋ってくれなかったり、ファシリテーターと1対1の会話が起こるだけになったりして、手応えを得られないことが多くありました。それでもちゃんとバリューを出さなければと焦って、なんとかアクションをまとめたり、無理やり教訓ということにしてチームのドキュメントに追記したりしていました。そういうぎこちない会を回すのはとにかく疲れるもので、1時間もファシリテーションをしようものならぐったりしてしまって、ふりかえりをどんどん嫌いになりました。

がんばるのをやめたら何故かうまくいった

ところが最近、こうした経緯で高まった「ふりかえりなんてどうでもいい」気持ちと、「エラスティックリーダーシップ」でソフトウェア開発をうまくリードする方法を考える - yigarashiのブログなどを通して醸成された「メンバーの活動をじっと見守る」気持ちが結びついて、予想外に良い方向に転がりました。具体的には、いつも通り出来事を書き出して思い出すパートが終わったら、みんながそれを眺めて雑談するだけで良いことにしたのです

そういう適当な気持ちなので、書かれた項目を上から見ていって「いやーこれ大変だったねー」とか「これめっちゃ早く終わったね」とか、休憩にでも入ったような雰囲気で喋り始めました。すると不思議なことに、その後の会話がいつもより自然に続きました。「これはこういう問題があって難しかったです」「こうやったら簡単に終わりそうだけどそれはダメだったの?」って感じです。なんだか教科書で見たことがあるような活発なふりかえりに似ています。そうやってひと通り盛り上がった議事録を見返すと、やたら教訓めいた発言や今すぐ直したいポイントが見つかったので、それをふりかえりのアウトプットということにして会を終えました。

かつてないほどラクだし、楽しいし、バリューもあるふりかえりでした。

何が良かったのか

自分なりに分析してみると、好きに話してよい場をうまく作り出せたことで、情報の流量とコミュニケーションパスが増えたのがポイントではないかと思いました。これまでは会の形式や情報の種類を整えることでふりかえりがうまくいくと思っていましたが、そこから始めてしまったことでチームが硬直してまったのかもしれません。問題解決において、チームのコミュニケーションから生まれる創造的なアイディアに勝るものはなかなかありません。それを信じているからこそスクラムを始めとしたチームファーストなやり方を取っているわけです。

つまりなにより大事なのはみんながいっぱい喋ることです。まずはそこをクリアすることが大事だと思います。そして、一般にファシリテーションの技術で想像されるような問いかけや情報の整理、ふりかえりのさまざまな手法は、情報が増えたあとで真価を発揮するものが多いように思います。もちろん情報を引き出しやすくする手法もあるのでそれはうまく使ったら良いでしょう。タイトルの「がんばりすぎない」は実は建設的なことを言っていて、ふりかえりを改善するための課題をうまく捉えて順番にクリアしようということです。